ワームホール殿堂入り
The Wormhole Hall of Shame (rznicolet.com)
要約
この記事は、フィクションにおけるワームホールに関する些細な不満について論じています。著者は、SF作品で描かれるワームホールの描写が、物理学的な現実や論理的な一貫性を欠いている点に焦点を当て、その不満をユーモラスに展開しています。
全文翻訳
私がフィクションのワームホールについて非常に些細な不満を述べる記事
ワームホールについて、私はある種の不満を抱いている。それは、科学的な正確さや、物語の論理的な整合性に関するものではない。むしろ、それはもっと些細で、個人的な、そしておそらくは取るに足らないものである。しかし、それでも私はそれを表明したい。
私が不満に思っているのは、フィクションにおいてワームホールが、あたかも「どこでもドア」のように、あまりにも安易に使われすぎていることだ。
物語の都合の良いように、突然現れ、突然消える。目的地への移動手段として、それ以上のものはない。しかし、それはワームホールという概念の持つ、深遠さや神秘性を損なっているのではないだろうか。
ワームホールとは、時空の異なる2点を結ぶトンネルのようなものである。アインシュタイン・ローゼン橋とも呼ばれ、理論物理学の世界では長らく議論されてきた概念だ。しかし、その存在は証明されておらず、もし存在したとしても、極めて不安定で、通過するには莫大なエネルギーが必要だと考えられている。
それなのに、多くのSF作品では、宇宙船がワームホールに突入し、あっという間に別の銀河に到達する。まるで、高速道路のインターチェンジのように。
もちろん、フィクションの世界では、ある程度の「お約束」や「ご都合主義」は許容されるべきだろう。しかし、ワームホールに関しては、その「ご都合主義」が度を越しているように感じられるのだ。
例えば、ワームホールに入る前に、その性質や危険性について、登場人物が議論するシーンはほとんどない。ただ、「ワームホールがあるから、そこへ行こう!」となる。そして、ワームホールを抜けた後も、その影響について深く掘り下げることは少ない。
これは、ワームホールという魅力的な概念を、単なる「移動手段」として消費してしまっているように思える。ワームホールの持つ、時間や空間の歪み、あるいはパラドックスといった、より興味深い側面が、しばしば無視されているのだ。
もちろん、私もワームホールが物語の展開に役立つことは理解している。しかし、もう少しだけ、ワームホールという概念に敬意を払ってほしいと思うのだ。その神秘性や、理論的な側面を、もう少しだけ大切にしてほしい。
だから、私はここに「ワームホール殿堂入り」を設けることにした。そこには、ワームホールを安易に使いすぎた作品、あるいはその概念を矮小化してしまった作品を、戒めとして記録しておきたい。
これは、あくまで私の個人的な、そして些細な不満である。しかし、もしあなたが私と同じように感じているなら、この「殿堂入り」が、少しでも共感を呼ぶことを願っている。
ワームホールよ、もっと大切に扱われろ!